シャツ生地の説明を受けたことに思ったこと

とりたてて特徴のない白いシャツを一枚手に取る。値札には25000円との表記がある。

ショップ店員が

「そのシャツは××という元々は生地屋だったブランドで〜」

「風合いが良くて〜」

「ハリとコシが〜」

といったように、ブランドの説明をした上で、そのシャツに使われている生地の上質さをーシャツの生地を説明する上で使い回された「風合い」「ハリ」「コシ」などといったワードを巧みに用いてー説明してくれる。なるほど確かにそのシャツの生地は上質なのかもしれない。しかし、それはブランドの名前、アイテムの説明書ありきじゃね?

 予備知識なしで、服の生地の良し悪しを見分けることは容易なことだろうか。

「ブランドタグが付いている」

「オシャレな店員さんがそう言っていた」

生地そのものを見て判断するのではなくそれ以外の、ブランドであったり雑誌や店員が発信したことであったりが購入の動機付けとなったのであれば、それは権威に付き随うことに相違ないんじゃないか。

しかし、生地の審美眼を磨くために費やす時間なんて一般的な消費者にはない。わからない、だから一定オーソライズされているブランドから服を購入することになり、それは仕方のないことである(ブランドを探すことすらコストになるのだが)。

け、れ、ど、それはコンシューマーの話であって売り手側は一定の審美眼を持っているべき。なぜなら審美眼を持っているかいなかが両者を分けるものだと思うから。

自分がそのアイテムについて思ったことを受け売りではなく、自分の言葉で説明できる程度には知識、表現力を身につけなければならない、と感じる。こと、生地の良し悪しに関してはクオリティの高いものと低いものを着用する経験を通さなければ、説得的な論拠を以って説明することは難しいだろう。