『ニッポンのジレンマ』を見て考えた議論のあり方

 Eテレの『ニッポンのジレンマ』という番組を見た。20代から30代くらいの比較的若めの論客を呼んで社会のあり方や政治のあり方、テクノジーのあり方などについて議論を深めるといった内容。この番組のおもしろいと思ったところは『朝生』みたいに専門家を呼んで特定の分野の議論を深めるといった趣旨ではなく、自論を展開するのが起業家や学者、芸術家あるいは僧侶など普段の生活では交わらないであろう異分野の「知識人」たちで、彼らが自論の押し付け合いをするのではなく、結論を導こうとするまでのプロセスを大切にして議論するところ。あつかう問題自体がどれも答えのないものだから結論なんて出ないんだけど、異分野の人たちが議論するから一視聴者としてはそういう視点もあったのかと膝を打つこともあれば、アプローチの仕方は異なっても考えてることはそこまで違わないんだな、みたいなこともある。

 この番組見てて思ったのは、議論にそれなりに慣れた人がキャッチボールすることで番組は成り立ってるけど、そこらへんの一般人を無作為に捕まえてきて「はい今から日本の社会問題について議論してください」でも番組が成り立つか?ということ。

 いや無理だろうね。だってこの番組ってある問題についてそれなりに主張したい『持論』があってその物事に知識なり関心がある人たちがキャスティングされてるからこそ成り立ってんだもん。

 けど議論されている問題について一番考えなきゃいけないのはそこらへんの一般人。そうじゃないと公共テレビで放送する意味ないしそれ自体が知識人階級の言葉遊びでしかなくなる。

 じゃあどうすればいいんだろうと考えた。

ある程度の関心があることを前提として、まずは個人個人に議論に必要な最低限の知識を与えること。そして考えうる立場を選択肢としてすべて挙げ、それを選択させること。これが大切。

 けどこれだけじゃ議論するのには足りない。このまま例えば10人の人がそれぞれ向かい合って「はい議論をしてください」じゃあ議論は深まらない。積極的に発言する人はいるだろうけど、それは一部の人で他の6-8人は傍観あるいは適当な相槌を入れるにとどまるでしょう。なぜなら自分の中で意見がまだ持ててないから。

 じゃあどうしたら自分の意見を持てるのか。それはまずはサシで話すことだと思う。先に選択した自分の立場をペアで掘り下げること。なんでその選択肢を選んだのか、テキトーに選んでいたとしても数ある中でそれを選んだ理由・背景を掘り下げ合うことで、ぼやっとその問題について思っていたこと考えていたことがよりクリアになる。次に、また別の2人グループと一緒になって、4人で同じことをして自分の主張をより洗練させていったり、他の人の意見を聞いて自分の意見を転向させたりする。それを繰り返していって全体があたたまった状況になって初めて、全員がひざを突き合わせる議論が始める。

 こうした過程を経ないと、一部の人だけで話が進んでいってその話にのれない人が確実に出てくると思う。自分の意見がぼんやりしたまんまでは、自信を持って発言できないからそもそも話さない、聞いてるだけで議論についていけないから急に話を振られても適切な返答が出来ない。お恥ずかしながら自分がまさにそうでした。

 ディスカッションするにしてもそれなりに丁寧な手順を踏まなきゃ全体としては盛り上がらないってお話でした。『議論のあり方』だなんて大層なタイトル付けたけど別に大したこと書けてないという。

文章を書くことの練習ですね。